とうとう、旅の最終日となった。
3日間を過ぎても、あまり疲れがないのは、旅慣れてしまったからであろうか?7時21分発の松本行きの普通に乗る。やはり朝ラッシュのせいで高校生らでかなり混んでいたが、ボックス席を取ることが出来た。早めに並んで正解であった。
韮崎を過ぎても、降りていく客が少なかったが、小淵沢駅に着くと、一気に大量の下車客が…。小海線に乗り換えるのが、いるのであろう。信濃境を過ぎると、長野県に再び突入である。茅野、諏訪、塩尻と乗ってくる客が多かった。9時08分再び、松本駅に到着した。
ここから、大糸線に乗る事になる。乗るのは、115系。中央線から、ずっと変わらずの車両である。
9時45分、松本を発車。南小谷行きは、半分くらいの乗車率であった。すぐに、北松本に到着。すぐに着いてしまう。この調子で、2〜3分ですぐに着いてしまうから、まるで、私鉄である。
豊科、穂高の辺りに来ると、山がはっきりと見えてきた。中部山岳地帯である。左の窓側の席をとっておいて、正解であった。しかし、この列車は、暖房の効きが強くて、すごく暑かった。
信濃大町に着いた。大糸線で一番大きな構内を持つ駅だった。ここで、入れ替わりが激しく行われた。
信濃大町を出ると、川沿いに出た。反対岸には、道路があって、いろいろな建物があった。見ていると、ジャスコやローソンを発見。それが、なんと、トタン屋根だったのが驚いた。こういうのを見ると、この辺りの積雪は、とても多いのだろうと、実感してしまう。
大町市を抜けると、今度は山深くなるのだが、トンネルがひとつもなく、これまた驚いた。小さい湖が3つほどあり、その湖畔を列車は通っていく。そして、やはり、駅間の距離が長くなった。白馬の辺りに来ると、すでに山の景色、そして、あちこちにスキー場があった。かなり標高が高くなったと感じたとき、終点の南小谷に11時39分到着した。
乗客は、あまりいなかった。気温を見てみると、10度以下であった。どおりで、すごく寒かったわけだ。糸魚川方を見ると、駅を出てすぐにもう架線は果てていた。そうしていると、だんだんライトが見えてきた。どうやら折り返しの糸魚川行きのディーゼルカーであった。なんと、1両編成のキハ52型だった。
11時47分。糸魚川行きは発車した。いきなり、駅を出ると、山深くなり、トンネルも多くなった。途中、県境の平岩辺りまで、大雨での土砂災害を起こし、復旧をした路線を通った。まだ、未完成の部分もあり、工事をしていた。川沿いに沿って、ディーゼルカーが行く。まさしくローカル線。これが、楽しいひとときである。でも、天気はあまり良くなかったのが、たまに傷だろうか…。大糸線最後の駅、姫川辺りにきて、やっと、山から脱出し、平野へと入っていく。川幅もいつのまにか大きくなっていた。そして、12時36分に糸魚川に到着した。
ここで、駅弁を買い込み、ベンチに座り、急いでかき込んだ。食べ終わると同時に、富山行きの普通列車が来た。なんと、旧寝台電車であった。これには、正直驚いた。あとで、調べると北陸地区しかない事が判明。かえって、これに乗れて良かった。
あまり混んでいなかったので、ワンボックス状態が出来た。しかし、座席幅が広く、これは快適であった。でも、特急だと詐欺だろうなぁ…とは、このとき思った。
親不知、市振と海沿いの駅を停車していく。2日目の日本海を見たときと同じ、波が高かった。魚津、滑川辺りに来ると、海は見えなくなった。そして、やはりこの辺りに来ると集客があり、混んできた。
14時06分富山に到着。すぐに乗り換える列車のホームへ行く。とその前に、「サンダーバード」が停車していたので、即効でカメラに撮った。そして、ホームに向かう。すると、やはりかなりの乗客がいた。
次に乗るのは、快速福井行きである。金沢から小松までが快速区間であった。列車が入線してきた。すぐにボックス席を取る事にした。海側ではなく、山側しか取れなかったが、ボックスが取れただけでも良いと思って、景色を楽しむ事にした。特急停車駅高岡でもかなり乗り込んできた。やはり、支線があるから、乗り継いでくるのであろう。倶利伽羅に近づくと平野が果てて、山の景色となった。そして、トンネルに入る。出るともう、そこは、石川県である。津幡を通り、金沢に到着した。
ここで、かなりの乗客が降りていった。さすがに大都会の駅。高架されていた。ここで、しばらく停車時間があり、車両の外に出ようとしたが、乗り込んでくる客が多かった。快速だからであろうか。逆に後から出る、普通のほうは、混んではいなかったが…。
さすがに快速になると、スピードは速かった。松任、美川、小松と停車していく。そして、また普通となって、のんびり走り始めた。客のほうも、少し減ってはいるが、まだ混んでいた。大聖寺を超えると、また、山の中に入っていく。そういえば、この辺りが、県境だったはず。なるほど、北陸線は、県境がトンネルになっていると言う事に気づいた。案の定、牛ノ谷は、山の中と言う感じであった。芦原温泉を過ぎ、終点の福井についたのは、16時51分であった。ちょうど、どの地域でもラッシュ時である。
17時10分発の普通敦賀行きの旧寝台電車は、すごい混雑をしていた。とても、ボックスには座る事も出来ず、ましてや、ロングシートの部分にも、座る事が出来なかった。自分にとっては、座れるだろうと思っていたのが、大失敗であった。屈辱的な時間が過ぎていった。
そして、鯖江、武生辺りにきて、やっと席が空いた。でも、ロングシートの部分にしか座れなかったが…。景色もロングだと見ている余裕がなかった、と言っても、もう闇の中なので、見ていても仕方がないが…。もうすぐ終点の敦賀というときに、長いトンネルに入った。なかなかでない。かなりの距離を走っているのに、トンネルを抜けていない。一体・・・と思っていると、10分くらいでトンネルから抜け出た。後から調べると、これは北陸トンネルであった。敦賀には17時59分に到着した。
ここで、降りて乗り換えようとしたら、この列車は引き続き、長浜行きになる事を知り、すぐにボックス席に移動をした。空き時間は、45分。乗客は全くいなかった。
ここで、駅弁を購入して、夕食とした。駅弁を食べていても、全く人の乗る気配がなかった。これだと安心して食べれると言うものだ。発車時刻が近づくと、やはり乗り込んできたが、数にして、ほんの数名。さっきのラッシュは一体どこへ…、と言う感じであった。
18時43分発車。敦賀の町はあっという間に消え、辺りは、真っ暗闇となった。でも、分かるのは、下り坂なのだろうか。なんとなく、景色は分からなかったが、そのような感じがした。新疋田に到着。しかし、何もない駅…。一人も降りる事はなかったし、乗ってくるのもいなかった。湖西線の分岐駅でもある、近江塩津に到着するも、誰一人降りようとはしなかった。やはり、暗いせいか何も見えなかった。ガラガラのまま、終点の長浜に近づくと、フッと電気が消えた。あっ、これが電気の切り替えかと思い、しばらく暗い車内が続いた。電気が再び点灯すると、もう長浜に到着していた。
ここで、隣のホームで待っていると、播州赤穂行きの新快速が来た。JR西日本自慢の221系であった。8両編成で、真ん中の車両の席に着いた。やはり、快適である、久しぶりの転換クロスシートである。でも、米原までの数分しか乗れないのが、残念な事であるのだが…。
米原に着くと、次は大垣行きの電車。やっとJR東海である。久々と言う感じだ。しかし、来た列車はというと、115系の車両。311系を期待していたが、裏切られたと言う感じである。しかし、本数が少ない区間なのに、意外にも空いていた。大垣からの乗り継ぎの列車も空いていた。最後は311系かと思ったが、またも裏切られた…。211系のロングシートであった。我慢して次の快速に乗れば良かったと後悔したのであった。車内は混雑する事なく、終点の名古屋に到着した。